中山靴店には毎年多くの入社希望者が訪れます。主に専門学校で靴づくりの基礎を身につけた人材ですが、中山靴店の理念を実現する即戦力にはなりません。それまでは現場で叩き上げていく方法をとっていましたが、その都度指導するだけでは、なかなか理念が根付かず、技術も身につきません。
そこで中山社長は、独自の新人教育カリキュラムを作り上げました。
日々の業務をこなすかたわら、自ら構築した教育プログラムに沿って、3週間みっちりと研修を受けさせたのです。
とくに重視しているのが、エビデンスに基づいた判断です。
「理論なき調整は悪」と断言し、お客様に満足してもらったとしても、その調整の根拠を明確にできなければ、鬼のように厳しく叱るそうです。
デジタル化する前は「なぜこの調整を行ったか」という根拠は、ひじょうに曖昧なものでした。お客様に喜んでもらえればその調整は正しく、お客様に気に入ってもらえなければ間違っていたということになります。
しかし、その理由は明確になりません。
間違えても正しく反省できなければ同じ過ちを繰り返す可能性があり、正しくても理由がわからなければ次に活かすことができません。
これまでは、そうした曖昧な調整でもお客様の信頼を得ることができました。しかしデジタル化が進めば、同じようにはいきません。職人としての勘や感覚で仕事をしていい時代は、もう終わったのです。
そのため中山社長は、職人たちに必ず聞きます。
なぜその部分に、その厚みを加えたのか。
なぜその素材を選んだのか。
その調整をしたことによるメリットとデメリットはなにか。
これは、義肢装具士にも言えることです。
義肢装具士はアナログの技術、つまりデジタル機器では測定できない暗黙知を理解する能力が重要であるとさんざん述べてきましたが、それはあくまで、形式知をしっかりと踏まえたうえでの話です。
「この部分が傾いているので、改善するためにこっちを上げました」
という調整なら、デジタルにもできます。形式知と暗黙知を併せ持つ職人なら、調整することによって生じるメリットとデメリットの両方をとことん突き詰めて考え、お客様のニーズに応えるためにはどのメリットを最優先にするべきか、判断する必要があるというのです。
「こっちを上げたことで、もしかしたらこちらの部分が当たるようになり、違和感や痛みが出るかもしれません」
と、調整によってもたらされるお客様への影響を予測し、
「その場合はここを直して緩和させますから、いつでもご連絡ください」
というふうに、まだ起こっていない問題の解決策まで用意していることを伝える。
そこまで考えて作られたモノだからこそ、お客様は信頼し、安心して装着するのです。
中山社長の教育は、デジタル技術によって示されるエビデンスの意義をしっかりと認識させ、さらにアナログの役割を自覚させるものです。3週間の研修を終えた新人社員たちは、はじめは自分自身がものづくりを楽しんでいただけでしたが、次第に「お客様のために作る」という意識が芽生え、そのために技術を使うようになるそうです。
これは専門学校でもどこでも教えてもらえない、最先端の教育と言えるのではないでしょうか。